<自分を知ること>
自分のことは、自分がよく分かっている。当たり前ですが、本当か?
本当であるし、そうでもないのが真実だと思うのです。
それは、自分が知っている自分の情報は明らかに人より多いと思います。しかし自分の考えや行動が周囲やひいては自分にどのような影響を及ぼしているかの現実は意外にも意識が希薄である場合が多いものです。それは自分では正しいと思う事柄や常識、~あるべきなどの信念や価値観は、自分にとって当たり前であり、気付けるような特別なことがない限りは疑いません。これに加え自我意識の働きが関与していきます。自我意識を持つことは避けられない現実ですが、問題は、自我意識の強さに比例して目の前の事態や人の気持ち・立場を客観的に判断することに支障が出やすくなることです。
これは人からの方が当人より、よく見えるものなのです。つまり客観視の差で見え方や捉え方に違いが出るのです。「意外にも自分のことが見えてない」はよく耳にしますし、事実よく経験もします。
発達障害や不登校状態にある人は、前項で取り上げた<認識の歪みと欠落><不安について>で説明したようにもともと事態を正確かつ客観的に見る力が脆弱であり、それゆえに周囲との軋轢や何らかの適応不全に陥り、強いストレスを感じています。これに加えて自我意識が加わると、事態の客観視から程遠い状態に陥りやすくなります。
実際に当人たちから、自分の問題や特徴とその影響について聞いてみると、よくわかっていないことがほとんどで、なかには、他人事のような意識であったり、問題意識すらもてないケースもあって、こういった場合は大抵、他者から見れば、かなり深刻な状態に陥っています。
しかし自分の分かり度合いが増すごとに反比例して不適応行動や問題行動が減弱するのです。それは自分が不適切な認識で不適応や問題が生じて、自分や人によくない影響が出ていることを知るためなのです。
書店の心理、教育、発達障害関係のコーナーに行くと、~支援とか、Q&Aについて書かれている本がたくさんあります。確かに参考になるとは思いますが・・・大切なことは、問題に対して外部からどう支援するかを考える前に、当人自身が自分のことをどのくらい知りうるかなのです。
自分のことをよく知らないで問題に他者(外部)が介入して減弱させるより、当人が自分のことを知ることの方が遥かに問題解決へのモチベーションは、高いのです。
それは内発的に意識、行動しているので経過や結果もよいし、外部支援とは違い、環境や人による対応によくも悪くも影響を受けにくくなって安定した状態になっていくものです。