<認識の歪みと欠落>
発達障害には、いくつかの型がありますが、共通しているのは、認識の歪みと欠落といえます。コンピューターにたとえると情報を分析処理するために10のソフトを起動させることが必要だとしましょう。それが5~8くらいしか起動せず、時々、誤作動を起こすこともある。そうすると、どんなことが起こるか・・・正常な分析処理していない、実態に合わないデータを真実だと判断します。ソフトがきちんと起動していないことを知らず、示されたデータが正しいと思いこみ行動するわけですから、色々な不適応行動が出てきてストレスが加わるわけです。
だったら、どうするか? ソフトに不具合があって、それが原因で色々問題が出ていることを当事者に伝えるべきであると多くの人がそう思うし、そうするでしょう。
しかし、そうならないことが多いものなのです。
それは「コミュニケーション」の項で説明した、意識は可視化されにくいこと、すなわちコンピューターのソフトがその機器の中でどう分析処理されているのか見えないのと同じで見えるデータは、人であれば言動なのです。分かりやすい、見えるところであるから着目されやすいのでしょう。
支援に結びつけていく一番重要なことは可視化されないところと言動プロセスや結果の関連性であるのです。しかしながら、この関連性について当事者や周囲の人に着目されているかといえばそうでないケースが多いのです。可視化されている問題ある言動をどうするかに着目され、リスクのある対症療法的支援を行いやすくなるわけです。さらに不適切な判断とそれに基づいた逸脱的行動の持続は、発達障害特有の問題以外に対人関係の軋轢や孤立を強め、心的に深刻な問題を生じさせる危険性があるのです。
認識の歪みと欠落を知り、その影響を検証していき、因果関係を知ることは、まさに「知ること・知らないこと」の項で説明したように状態にマッチした支援へと繋がっていくのです。