<不安について>



不安は、生きる上で生じる、自分を守るための感情の一つです
不安なことに対しては、予測、準備し、不安なことが実体化すれば対応して処理します。
ここまでは、妥当と思われる認識と行動です。
しかしトラウマや感受性が強いと過剰になりやすいものです。
過剰になると磁石のように不安に関連した不安を呼び込み不安が膨張してしまい、それによる明らかな判断の誤りや不適切な行動を招いてしまいます。また同時に心的疲労が高まって活性を失ってきます。必要ある行動であっても手がつけにくくなってしまい、そういう自分に自信がもてなく、自己否定的感情が強くなり、それが不安膨張に加担する負のスパイラルにはまっていきます。
不安は未来のことで今、目の前に存在しているわけではありません。これが事実なのですが、不安が強くなると「○○不安が存在する確実に・・・」強い観念と確信を持ち、リアリティのある捉え方をして苦痛を伴います。ここまで来ると意外にも自分が通常でない状態であるとの自覚が低いもので、他者による介入が必要となります。
現況の事実確認、不安の存在とその可能性の検証をしていくと、確かに不安実態はないと気付くのですが、厄介なもので、これら検証、確認の理性的判断をしたのに関わらず、観念や確信は強く、そちらに流されることはしばしばです。
不登校になった子どもたち、またはその履歴を持つ人の中に不安を具体的に口頭で訴えないケースが多く、自身の心の中に溜めこんでおり、時間経過とともに語る場合あるのですが、そうでないとかなりの心的苦痛状態を持続させていることになり、精神衛生上危機的な状態に陥る場合もあります。
防ぐには、まずは、心の中にある不安を表面へ出す作業がとても大切になるわけですが、当事者にとっては、デリケートな内容であることや不安を上手く表現できない場合もあります。
これは、短時間で簡単に進められる作業ではありません。大切なことは、寄り添う人と当事者の人間関係作りになるわけです。
その中核は、信頼関係と円滑なコミュニケーションなのです。