私は昭和59年から相談に携わってきています。その中で感じたことについてのつぶやきコーナーです。
問題解決だけが目標ではなく成長、自立の視点でみることが大切
問題解決に注視すればするほど他の見落としが増えます、だから重症化したのでは?
重症化(発達障害であれ不登校であれ)に共通するのは親と子どものコミュニケーションの取りずらさ
コミュニケーションがよくなると、抱えている問題も減ってきます。
子どもの抱えている問題が何であれ、「楽になりました」「子どもを見ていると楽しいです」と親御さんがコメントします。自立が進み、対応が適切であることのサインで自立が進まないと「年々しんどくなるや気が重い」とコメントされます。
「注意しても直らない」を連発するのは、子どもの状態の把握が不十分なサイン
子どもが自分のことを知り、受け入れ、自分を変える意識を持てるようにすることが最大の支援
家でみる限り問題が、なくなっていないようだけど集団の中では出ない、あるいは、この逆は注意が必要です。
問題を起きにくいように環境を整える。程度ややり方を誤まると逆効果
「困った事がないです」だから取り組むべきことがないと見るのは早合点
目に見えることだけが問題ではありません。子どもの視点で見ることは大切
子どもはしんどいと何らかのサインを出しています。
適切な支援が整った状態で「様子を見よう」は○、そうでないと注意△
心の中は見えない、だから日頃のコミュニケーションは大切です。
SOSを表現できない…まさにこの状態はSOS。
問題行動の重症化の始まりは、親御さんの願いが子どもの実態に合わないことが多い。
支援の成功は、子どもの状態と課題(支援)のマッチング。
他者との比較より、到達できる目標をたてて結果を出していくことが大切
困ったとき、表面的問題の解決方法と根本原因の解決方法の両方が必要です
環境、モチベーション、方法の三つが整うことが支援の基礎
発達障害の診断基準は、あくまでも基準です。当てはまるかどうかこだわるより、原因と影響を知ること
診断は一つの通過点です。診断を下されたからといって問題が解決されるわけではありません。
各スキルや心は連動している。これを理解することは、原因、変化、成長の予測が立てやすい。
叱ったり、注意しても一向によくならない。これは、再点検が必要のサインです。
変化、効果、解決をもとめること、これには自立、成長が必要。
「人のせいだ、許さない、運がない」など、他に責を求めるうちは、事態は好転しない。
自分に向き合い始めると自発的行為が増え、問題の減少や解消が起こります。
何も問題を起きないことを願うことには矛盾がある。
生きていると困難なことが起こるもの、その中でどう学んでいくかが大切。
親が子に対してイライラするのはなぜ? 子どもが原因? それとも親のエゴ?
求めているものが今の状態の我が子にとって適切?
子どもの問題の原因が、つかめないのにハウツウを求めるのことには注意が必要です。
子どもの状態の理解や受け止めがうまくいっていないから、我慢することになり、結果、子どもとの関係が悪化しやすくなります。
「常識的でない行動をとるから注意します。」は常識的行動が取りにくい原因があると捉えてみることも必要です。
普段、子どもにしている手助けは、本当に必要なことか? 再考してみることで意外に過剰な援助をしていて自立にブレーキをかけていることがあります。
子どもがあまりしゃべらない。何を考えているのか? どう思っているのか分からない。これこそが大変なことであることを後に嫌というほど思い知らされることがある。
子どもと話しにくい(機嫌を悪くしないように気を使うなど)は、重症化の一つ。
問題の原因とその影響がわかればどう支援すべきかが分かりやすくなり、結果、適切な支援になります。
速く、効率的に処理する、失敗回避を過度に求めると過剰な援助になりやすく、ストレス耐性を弱めたり、自立(律)に多大な影響を与えることがあるので、注意が必要です。
社会性に問題があるので、集団療育をするは、構成員の状態や、指導によっては、適切な学びが得にくいこともある。
※ ここで述べた事の詳細に関しては、「支援方法」 「支援と就労」 「問題の捉え方の問題」 「よく見られる誤認識・誤対応」を参照してください。