<誤解されやすいこと見落としやすいこと>


相談場面で「最近、落ち着いています」「問題がなくなった。減った」など、事態がよくなったと言われることがあります。嬉しいことですが・・・ 気をつけてみないと、本当ではなかったことが、後にわかることがあります。
それは、環境が問題を起こさせ難い状態にあることや負荷の加わりにくい状況になっている、適応(後に過剰適応だと分かる)して問題がない、さほど困った状態ではない、個人の問題だけでおさまっていて、人に迷惑もかかっていないなど生活上支障もないのですが、この状況にあっても注意を要するものがあるので例を挙げてみましょう。
時々、学校を休みたいと言うけど行っているし、行けば普段と変わらない生活態度で過ごしている、学校のことをあまり話さないし、聞いてもはっきり答えない、体の不調(頭痛、吐き気、めまい、腹痛など)を訴えるが、診察してみて何も問題がない、不安をよく訴える、確認を求めることが多い、変なクセが出てきたり、強まったり、感情的になることが増えてきた、下校後に疲労を訴える、友達と関係をとっているエピソードが少ない、出来事に対して感情表現が少ないなどです。
いずれも、生活上与えられたことはどうにかこなしているし・・・何か決定的に行き詰っているものはない状態です。単発であれば要注意ですが、深刻な状態に移行する場合は、上記の出現が二つ以上あり、状態の改善がないか、やや悪化してきている。さらに前項の「正負の連鎖」で正の連鎖の出現がない状態で、何もしないでおくと、かなり高い確率で不適応状態に移行していきます。不適応とは、たとえば、不登校、引きこもり、精神病(的症状含む)、暴言・暴力などで、一度これらの症状が出ると解決、改善には、多大なる時間と労力を要します。
ですから、注意を要するものがあれば、注意がいるわけです。難しいのは、上記のように決定的に困った事態ではないことや心身の不調をあまり訴えない場合も多々あり、見過ごされることも珍しくはないのです。
では、見過ごさないようにするためには、日頃の円滑なコミュニケーションが取れることが必要で、人間関係がよくないと出来ません。そのためには相手を理解しよう受け止めようとする気持ちが必要になるわけです。 様子が変であることは、このように相手を知ろうと意識することで分かり易くなるものです。 また、気になることの原因が特定されて本人にもその自覚があればいいのですが、大抵は原因が見出せない例が多いものです。だから適切な援助も見出せないで、場当たり的な誤支援を招き易く、事態は深刻化していくのです。