<正負の連鎖>
繰り返しになりますが、生きることは、様々な出来事が起こり、それをどう乗り越えていくか?そのためには、まず事態に向き合うことが必須です。つまり逃げないことです。それにより、様々なことを学ぶことになります。苦痛でありながらも、事態に変化をもたらすことで感動体験を得ることになるのです。
そのための条件は、正の連鎖なのです。
今まで述べてきた中で例を挙げて説明していきましょう。たとえば、自立を軸に見てみます。
自立とは「自分のことは、自分で考える意識と、出来うることから目標を持って努力する行動力、そして手に負えないようであれば人に助けを求め、人に協力をする」と捉えられます。自立の中のそれぞれの要素が言動の中で確認された場合、同時期に目標を持ち努力して取り組んでいる、その目標が努力により手に入る現実的なものである、その現実的目標は、自己や現状を受け入れて現実的な視野で導き出されます。更に判断に迷えば人に相談すること、つまりコミュニケーションをとることで、偏らず、また、視野を広げ、適切な方法が手に入りやすくなり、孤立的な心境に陥らずに済みます。
物事を処理していく、また目標を手に入れるためには、事態を冷静に見て妥当な方法で解決また達成していくわけですが、不安や認識の偏りが著しいと事態を冷静に捉えられず、 目標自体が不適切で事実も歪曲して捉えられており、処理できることまたは目標自体を手に入れることは困難になります。不安や認識が軽減また妥当になる為には、自分の状態を知る必要があるし、また受け入れる必要もあるのです。
このように今まで取り挙げてきたテーマは連鎖しているし、連鎖するものなのです。
自立が進めば、年を追うごとに親の手を離れていくわけですから、親にとっては、楽になり、我が子を頼もしく観ている状態になるわけです。一方、負の連鎖は、まさに正の連鎖と逆で同じ自立を軸に見てみましょう。
負では自立が進まない、つまり依存状態にあり、内訳は、自分のことであっても人に頼むし、自分事なのに他人事のような認識、快楽を満たすための行動が多く、上手くいかないと他人や運命のせいにして、解決に向けて動かない。
同時期に周囲との軋轢、一方的な主張や人のアドバイスを受け止めないことにより、円滑なコミュニケーションがなり立ちにくい。
孤立化が進み、精神状態が不安定で些細な出来事で過剰な反応をする。望まない事態は、受け止めようとする意識は稀薄で、逃避するか、他者批判をして自らを振り返ることもない。事態は硬直もしくは、悪化して時間経過とともに心的苦痛は、増して、より依存に伴う言動が強くなるか、もしくは、内にこもる(自虐的、強い自己否定、周囲との関係遮断など)ことが進行します。周囲の人はこの状態に希望を見出せず、気の重さは、増していき、疲弊することになります。