<予想すること>

 

 

 予想するとは未来を想い備えることだと思います。
たとえば進級、進学、就職など生活に変化が出る時期、行き詰っているとき、不安が高まり悲観的気持ちに支配されたとき、将来的見通しが立てにくいとき、「どうなっていくのか?」と想う時、未来を意識します。
 私は、当事者の今までに起こった出来事をベースに未来のシナリオを描きますが、そこには楽観的、悲観的な要素はいれません。あくまでも今までと同じような判断や行動を取ることを前提として予想しますが、環境変化や人が変わるので未知数の面があります。
未来に起こった出来事で、よくも悪くも変化があればその原因をみつけて、情報集積し再び未来のシナリオを描き、実現可能な対処をします。
その中でシナリオにない出来事が度々起こることは珍しくはないことで、それが大きく未来を左右することもあるのです。
原因としては、当事者の意識の変容(成長や何かしらの目覚め)と人からの影響(出来事など)、環境変化により当事者に求められる内容が今までにないことでなど、私は経過や結果が良くても悪くても当事者に思いを尋ねます。
それは説明されたことと結果に整合性がつくかどうか、意識の変化があるかどうかを知るためで、今後の対応に重要な示唆を与えてくれるからです。
 人との出会いや環境の変化はある意味、運命的なもので不思議で何かしらの意味があるのかなと言うしかないのです。これは皆さん同じ経験をされていると思うのです。たとえばあの人に会わないと、あの一言が、あの出来事があって、あの本を読んで・・・それがきっかけで色々なことが展開されてきたなど、不可抗力な出来事です。後付になりますが、それに遭遇したことに意味があるとの意識をもつと、これは時間の経過が進めば進むほどそういうことだったのかと気づくことも多々あります。
起こった出来事が悲観的であっても、後に意味深さを感じるのです。ですからよくないと決め付けないで過去からの出来事を経時的に観るとテーマが見えてくるのです。
テーマとは当事者にとっての学びや課題、目標であったりするのです。