<支援をしていく目的>



「支援をすること」今、多くの領域で使われる言葉です。手厚いそして充分な支援は、安心感を与え、良い方向に行くものとのイメージを抱きます。
支援をしていくことで事態の改善を図る、問題を解決する、スキルを高めることなどでしょう。しかし、いつまで、続けるか、支援そのものが必要とされない状態になれば終わるのかも知れません。しかし発達障害や集団適応を困難にしている原因の完全なる解決は望めない現実やそれに関連した問題は多くあるのです。では、どこまでにするか・・・完全なる解決は望めないにしろ、何かしらの問題や困難を抱えつつ生活をしているのが人なのです。世の中にはそうであっても事態に向き合い活路を見出して生活している人は多くいます。つまり問題に向き合い、出来うることを努力し、生活しているからだと思うのです。支援をすることを否定するつもりはありませんが、実際、生活適応が進んだケースは、支援が必要ないか、あってもわずかなのです。それを起こしている原動力は外部の支援ではなく内部からの事態に向き合い打開しようとする意識と行動力なのです。
支援自体は受身的であって能動的なものではありません。これを成長することとあわせて見ると、逆行するのです。支援は与えられ、成長は自立的方向なのです。
この方向性は本来、人が持ちえているもので、自然なことです。支援は必要なことであっても適切であるべきで、すなわち過不足なく与えられ、成長と共に減じていくものです。時間経過と共に減じないのは、例外はあるにしろ支援自体に誤りがあることが多いのです。