<教えること>

 

 

教科学習においては、丁寧に分かりやすく教えるが一般的な認識だと思います。
しかし生活における判断や対処方法は、丁寧に分かりやすくならないように私は意識をするのです。
それは、カウンセリングにおける経験で極めて大切であると気付いたからです。
伝えたいことが「常識的なことだし、難解なことではない、丁寧に説明をした、うなずいていたし、質問もなかった、だから分かっただろう」と確信に近い思いでいたことが、実はよく分かっていなかったり、誤認している現実によく遭遇しているからです。
そのために理解できたかどうかの確認をする必要性があること、一方的な説明を受けて理解すると、それは自分で組み立てたわけでなく、組み立てられたものを頭の中に入れたことになるので、思考の主体性はありません。主体性がないからいけないのではありませんが・・・
主体性が得られることとは、自分で考える材料を集めて組み立てて結論に達することです。
さらに自分のために考える、自分のことだから、考えた、決めたのは自分、自分のこととしての意識を持つこと、それは自分の人生であることの意識を持って自立心を高めることになるからです。
一方的に教えると、これらの経験値は上がりませんし、磨かれません。
では主体性が得られるためにはどうするかの方法ですが、「一方的に教えない教え方」を推奨しています。
その方法は、最初に考えるべき必要な情報項目を与えるか、気付ける手助けを与えていきます。手助けとは質問やヒントを与えて言語化してもらうことです。
考えたことを言語化してもらうことで意識が高められることと同時に認識を共有できること、それを基に必要な事を検索し、導き出されたいくつかの事を関連付けて、結論に達することです。
 生きるということは色々なことに遭遇して事態を打開したり、解決することの連続です。まずは自分で考えてどうにかなるのならどうにかすればよいわけで、そうできないと人に頼ることも必要です。しかし自分でどうにかなりそうなことでも考えずに人に頼ってしまうと主体性が得られずに依存心を高め精神的免疫性の低下を招きやすくなって、社会適応性に影響が出ることが多々あるのです。