<ミスマッチ>
物事、状況にマッチした対応をとると事態はスムーズに処理されます。
ミスマッチはスムーズに処理されず、逸脱行動などの問題を起こし、負の影響を与えます。
これらは当然のことで、最初からミスマッチを狙う人はいません。しかし、結果としてミスマッチを起こしているケースが多いのも事実です。どうしてそうなるか・・・目の前に起こっていること、その原因に目が向いていない、見えにくいのがその訳です。
面談していてよく耳にする言葉があります。それは「普通は、 常識的に、 ~すべきは当然です、 ~はできて当たり前ですよね」などです。
この目標に手が届くことが、当たり前の感覚なのです。特別に高いハードルでは、ないので、結果が出せないと、やる気がない、ふざけている、性格や気持ちの問題として片づけられることが多々あります。上手くいくためには「~をしなさい、 ~してはだめです」など具体的教示をします。
確かにちゃんとやってないのだから叱られたり、注意されたり、教示されることは、当たり前なのかも知れません。でも何度も同じことを言っても変化がないと本当に分かっているのか? 出来ないのではないか? 疑ってもいいと思いますが、出来る、すべきが前提で捉えているからでしょう。あとで、事態の成り立ちを理解しようと冷静に見ていけば、求めることと、それが出来ることには隔たりがあって、結果が出せなかったが分かってくるのです。
家庭内暴力、警察の介入、精神病院への処置入院、引きこもりなど深刻な状況に陥っているケースの過去には、必ずミスマッチがあります。ミスマッチがわかって初期の段階でマッチングへ移行すればいいのですが、当事者や周囲が困惑した事態になって対応の模索を始めます。だから状態の重度化を招いてしまったのです。では、何も気にならなかったか? 予兆はなかったか? というとあるのです。当時は「たいしたこととは思わなかった。何とかなるのではないか」くらいの捉え方で放置されていて後に現状の始まりで、防ぐ余地があったことが分かると「まさかこうなるとは、 こんなはずではないのにちゃんと対応しておけばよかった」など強い後悔をされます。また原因に目が向かないと重症化ゆえの切迫化に心が奪われているので事態を冷静に見る余裕もなく解決方法を求めても思ったような解決や軽減が進みません。
重症化とは、病気の進行によるものもありますが、大抵は、対人関係の感情もつれで、ミスマッチによる誤対応に始まりを見ます。重症化しているからもうよくならないか、ダメなのかというとそうではなく、時間はかかりますがもつれた紐を解くように、原因と結果を知り、それに愛情を持って接すれば事態にマッチした環境となり徐々に好転していきます。
ミスマッチは、まさに事態を正確に捉えていないことで、結果を要求したり、事態の解決の模索から、知ることへ意識をシフトすれば防げることなのです。