<自己防衛>
生きていることは、様々のことが起こります。その中で安全を脅かすことが存在していたり、予想されると防衛する必要が出てきます。誰がみても防衛すべき状況にあり、防衛方法も妥当であればよいのですが、しかし時として過剰になることがあるのです。
それには当事者自身に何かしらのそうすべき理由があるわけです。
相談場面で自己防衛が強く働いている例で多いのが、生来的に繊細である場合で不登校傾向や陥っているケース、何かしらのトラウマを抱え、猜疑心やそれに伴う不安が増強される場合などです。
過剰な自己防衛反応の内訳の例を挙げると、自分の本心を言うことが相手にとって不快であると予想したり、相手の要求に沿うように過剰に操作することで自分が傷つかないように安全な位置に置こうとする場合、また辛い出来事の記憶が曖昧だったり、なかったり、だいぶ時間が経過してから(半年~年単位で時間が経過してから)辛かったことを話し始めるなど嫌なことをある期間、封印することで自分を守ろうとすることは、よく見られる状態像です。これは意識的操作で守るではなく、無意識的操作で守るようで、ちょうど脚を怪我した時にびっこを引くことで、痛みから守るために無意識的にそのような動作をするのと類似しています。
この状態にあると精神エネルギーを消耗しやすくなって疲れ、抑うつ気分、気が休まらないなどの心的活性が低下します。
また当事者には過剰な自己防衛であるとの認識は薄いか、ないのが一般的で、過剰であると当事者に伝えても意識的に過剰な操作しているわけではないので、問題であるとの自覚が得にくいのです。
対応として何を守ろうとしているのか、なんらか被害を受ける対象?の特定と、それが被害を受ける?程度のものでないことを理解することなのですが、被害を受ける?対象となるものへの向き合う心の準備ができていないと守るために無意識化しているのに意識化しようとするわけですから強い拒絶をすることになります。
ですから、その前の準備が必要になるわけです。それは、主体的に何かしらの目標を持ち得て、取り組む経験(行動)なのです。これは不安値を下げることになって、客観視しやすくなり、その結果、不安の核心的部分に向き合う準備ができるものなのです。
健康的で適応的な生活をしている人の多くは、主体的に何かしらの目標を持って努力をしており、事態に対してほぼ適正な判断力を持ち得えているのです。