<依存すること>
誰でも、生活しながら、いろいろなことを学び成長していくわけですが、不安であったり、未熟であれば、多い、少ない、の差はありますが、依存することは、避けられない面はあります。しかし自律(自立)が進めば減少していくものです。
未熟であるがゆえに、失敗を重ねる、失敗や非効率的であるから辛い現実を味わい、自らが答えを求めて手にする事で、学び、成長することは自然なことなのです。
それは、起こった事態を分析してその原因であったり、予想されること、影響などを考え、対処方法を導き出す。そして行動を起こし、事態の解決または、改善の方向へと進むことで、自信を得られ、不安が減じて行くことにも繋がっていきます。
ところが、躓きそうであったり、躓いてしまったら、いかに上手くいくか、効率を上げるかを優先する指導へと何のためらいもなく、行われ易く、相談場面で多く遭遇します。この路線は、自信を得て不安を減らすことにならず、長く依存から脱却できない、共依存が生じている事が多々あるのです。共依存とは、親が失敗しないようにまた効率を上げることへの過剰と思われる関わりで事態を処理する動きを示して、それに子どもが頼ってしまう。頼られた親は、子どものためだと大儀面分とし、また頼られていることへの充足感を得る現象のことです。
この状態にあると面倒を見ることが減らない。子どもは、~してくれるのが当たり前であるとの認識を持ってしまうことです。この影響は長期化することで親の充足感から心身の疲労へと変化し、子どもの方は耐忍性(ストレス耐性)の弱さを招き、事態からの逃避、他者に責を求める、運命のせいにしてしまうなど事態の硬直に繋がっていき、様々な環境の適応への支障を与えやすくなります。