<比較すること>

 

人それぞれ違いがあります。
比較は、何かを対象にすることで同じ、優れる、劣る結果が生じます。

比較されること、すること、それが正しいとか、そうでないことかを疑うことは少なく、当たり前なこととして人との差を意識します。別段悪いことではありませんが、そこに意識を多く使っています。
たとえば、学校の成績がよいこと、金銭的なこと、~が遅ければ速く、~できないとできることを望む・・・比較して気にする根拠は自分の位置づけ、安心感、問題や異常、または損得など知り得ることで比較評価が重要なこととして認識されています。
 相談場面では、発達の遅れのこと、適応への困難さ、当たり前のことができない、常識的でないことをするなど、いずれもある基準を基にした差で評価されたものです。注意すべきは、比較による差を気にすることは、焦りや苛立ち、現実否認、自己嫌悪などを強めて事態への適切な対応とはかけ離れた方向にシフトしやすいリスクを抱えることになります。
比較する意識より原因をしること、将来的に必要なこと、そして現時点で大切なこと、できることに意識がシフトすれば、適切かつ現実的対応の可能性が広がります。
これが、わかっているとはいえ、見えること聞こえること、明らかに違いとして認識しやすいのであれば、何も感じ得ないというのは不自然です。違いが気になるのならその意識を封印するのでなく意識を肯定した上で、今ある現実とその改変には何をすべきが妥当であるかの客観的意識を起こし、行動へシフトすることだと思うのです。