<現実を認めて受け入れること >
嫌な現実を認めることは辛いことです。辛い現実で生じやすい「怒り、嫉妬、焦り、自己嫌悪、被害者的心境、絶望的心境、諦めの境地、自虐的、運命的定め・・・」など重くてネガティブな陰性感情を持つことは、自然だと思います。生じてしまった気持ちもまた現実なので我慢して乗り切ろうとしたり、生じた感情をよくないものだからと否定したり、ポジティブ思考に強引に持っていこうとしては、いけません。それはあるものを否定することで事実を歪曲することになるからです。すぐには気付きにくいのですが、歪曲されているので心理的に負荷がかかり続けた状態になっており、時間経過とともに何かのきっかけ、多くは些細なストレスで抑えがたい上記の陰性感情が再び出てきて、自らを傷つけ、程度によっては、他者をも傷つけることになります。 ではどうするか?陰性感情を持つに至った原因の多くは、自分にとって不都合なこと=自分の要求通りにことが進まないことであることがほとんどで、そうであるならそう自覚してみることです。 事態を自分の都合のいい状態にしようと思えばこの自覚作業は進みません。自覚作業が進んでくると陰性感情は少なくなってきます。そうするともう受け止める心境に近づくのです。
同時期に事態を等身大に捉え易い心理状態になり、事態を客観的に見えやすくするのです。 客観的に捉え易くなれば、後は、事態を好転、解決に向けての今できることの計画や方法について考えて行動すればいいわけです。
現実を受け入れないでの目標や計画は、基礎がしっかりしていない建物を建てるようなもので、的が外れていたり、行き詰まりや不安定さ、継続の困難さを生みやすいのです。
そうであるがゆえに現実逃避し易く、事態に意識を向けず放置し、後に硬直化を生みやすいので一時的には楽な状態であっても後に苦痛が生じます。
前項の<上手くことが運ばないとき><自立について>でも説明したように、生きることとは、いろいろなことが起きます。これは、人為的なものもありますが、不可抗力も多く、ある意味、人智を超えているものもあり、選択できないこともあります。不運や否定的感情に支配されず、出来事から逃げず、向き合い解決していくことに、苦難ではありますが感動ありの生きていく、生きる目的の一つがあるように思います。