<上手くことが運ばない時>




思った展開にならない。予想していたより悪い。経過がよくないは、よくないことなので原因を解明して、立て直しを図らないといけません。しかしこれだけでは、不十分なのです。そこには、よくない中に意味を見出していく、つまり学ぶべきことはなかったか?です。
学ぶとは、対処方法が適切でなかったか、避けることが難しい不可抗力か、事態を充分に把握できていなかったのかを判断して次回に生かすことと自分自身が抱える捉え方の偏りや能力的弱点や性格が反映されたかなどを判断すること、たとえばやる気などの意識の問題か、自己都合的判断をしてなかったか、事態から逃げていなかったか、責任転嫁していなかったかなどが、事態にどう反映されたかを見つめることです。通常、自分に関わる事態には100%が外部的なことに責があることはなく、なんらかの形で自分が事態に介入しているもので、自分で気付き何かしらの操作できるものです。責任転嫁せず、自分を中心として事態を正確に捉える客観性を磨くことで、好転や成功に向けてのモチベーションの高まりと事態の改善で感動を生み出します。成功していればこれらのことの考察や心境は得られないことでもあります。
しかし、事態の受け止め方を自分は悪くないなどの責任転嫁や、失敗はだめ、また上手くいかなくなるのでは、うまくいきにくいのなら避けようとする意識が勝れば対処方を考えず、陰性感情は高まり、自虐的、または他者批判におちいり、事態は硬直化してしまいます。表面的な良い、悪いに傾注しすぎないことが肝要なのです。捉え方により陰陽どちらの方向に行く可能性を含んでいます。
一方、ものごとが順調に推移しているとき、それは、困難を乗り越えたことか、たまたま、めぐり合わせがよかったからなのかを判断しないと、後に、予想も出来ない、暗転を示すことがあります。
私はよくないことが生じると内心,よかったと思います。本人や家族にもそのわけを説明します。もちろん相手の心理状態や考える方向性をみて、聞き入れ易い状態と把握した上で、ですが、もともと問題の出る要素があるのであれば、形はどうであれ、困った事態が早くに生じた方が、本当はいいのです。
こう説明するとよくない現象がいいのか?と一見、矛盾したように見えますが、それは表面的な見方です。早期対応は慢性化を防ぐし、困難を乗り越えることで成長し、変化がわかるのに一時期、困難を示さないことが、よくなっているのか成長しているのかの内訳も分からず、結果がいいのだからでなく、どうしてなのかと意識して答えを求めることはとても大切なことです。
生きるうえで物事が上手くいかないことは一様にだれにおいても避ける事はもともと不可能で、それは不幸でもなく、事態を引き受けることで、より深く物事が見え、感動的に生きるためのいわば、必須なことだと思います。