<状況判断>                

 

状況判断が出来ないことを「空気が読めない。場が読めない。独りよがりの行動をする。人のことを考えない」などのような言われ方をします。
 たとえですが、2人の少年が同じ草むらを歩いています。1人はバッタを探しに草むらに入り、もう1人は近道のために草むらを歩いています。どちらの少年の方が、バッタに遭遇する確率が高いのか? 確立の違いは、見つけようとする意識と見る事への集中の違いといえます。
状況判断が上手く出来ていない人に人のことや自分の言動が人にどういう影響を与えているかを聞くと、意識があまり働いていない。つまり見ようとしていないことや自分がよくない状況にあることが理解出来ていないことに気付かされます。
 状況判断、共感性、相手の立場を考える意識は、教えられることでなく本来持ちえている事なのですが、自己要求を満たしたい気持ちが強かったり、脳機能的な問題があると充分に働かないことがあります。注意を促したり、教えることで改善されることもありますが、大抵は、一過的で持続的な改善が望めないのが一般的なのです。それは問題が起こっている時が現実で、終わってしまえば過去で今には存在しない、また未来に対して繰り返すリスクが、あっても未来は現在でないので存在しない、過去と未来を今の意識に挿入しにくいことがその理由です。
ではどうすればいいか? ですが、状況を考慮して行動するか、状況を考慮しないで自己要求を満たす行動を取るかの両者の結果を比較してもらうと、得な方がいいと判断ができます。つまり得をするためにその行動を取ることを学ぶことが最初のモチベーションになるのです。
これで、実現可能な目標を立ててそれを手に入れることができれば、さらにモチベーションは高まるわけです。
こうなっていくと徐々に主体的に現在出ている問題に対して意識し始め、同時期に過去の不適切な判断と行動で自他共にデメリットを生じさせてしまったエピソードに意識が向き、後悔の念に比例して事態(状況や人)がよく見えてくるようになります。
これによって目標を持ち適切な状況の判断と行動を行うことで問題は解決されてきて、さらなる自己変容への持続的なモチベーションが得られ行動変容が起こるのです。

 上記とは、別な不適切な状況判断パターンである事態をゆがめて拡大して捉えていることについての話です。
それは、表面的には状況判断が出来ているように見えて、適切に行動しているけど、長く集団の中に入っていられない、不安が強く、自信がもてなく、他者からの評価を気にし過ぎる、さしたことでない出来事に対して過剰な悪いシナリオを描くといった、深刻で自己を脅かす状況でないにも関わらず、こういった思いを抱くために過剰な心的疲労を起こしてしまいす。内面では強い葛藤を抱いている。いわゆる不登校によく見られるパターンなのです。状況に対してどうすべきかの学習が出来ていないのでなく、事態をゆがめ、それを拡大して捉えているのです。
対応は事態の歪みを修正することになります。理屈ではそうなのですが、不安に対して確信的な捉え方をしているので修正していくには困難を伴います。
まずは、不安な現実を理屈で捉えることです。つまり理屈を理解することが目的になります。しかし理解できてもこの段階では確信的な思いの排除はすぐには出来ません。
次に好きなこと、必要なこと何でもかまいませんが、実現可能な目標を立てて手に入れることです。これによって不安が減じてきます。
不安が減じると不安な事態を過剰な観念から等身大的に見始めてきて心理的に楽になってきます。また活性も出てきます。この好転の集積の結果として長期間の集団生活ができてくるのです。